2015年3月15日日曜日

APUでの生活を振り返って

APUっていう面白い大学あるよ」、「じゃあ僕そこに行きます!」、私がAPUに入学したきっかけは、予備校時代お世話になった先生の一言でした。キャンパスを訪れたこともない、どんなことを勉強できるところなのか何も理解しないまま、受験を決意したこの時の自分は何だったのかと、あまりにも素直すぎて不思議です。合格をもらってすぐ行われた合格者説明会、明礬方面の坂道を両親の車に揺られながら登っているときのことは今でも覚えています。「何ここ!山やん!ただの山道やん!」と、自分は来る場所を間違えたのではないかと心配で、ずっと心の中でつぶやいていました。しかし坂道を抜けてすぐ、緑に囲まれたAPUのキャンパスと広大な別府湾が目に飛び込んできたとき、「あ、この大学すごく素敵な場所かもしれない」とあの山道を抜けて、開けた風景から直感でそう感じたことは今でも鮮明に記憶しています。そしてこの何気ない決断と、この時感じた直観は間違いではなかった、と4年間のAPU生活を通じて心から思います。

中学時代、高校時代の僕は、とにかく人と関わることがめんどくさいと思っていました。当時の僕からすると周りが幼く見えてしょうがなかったのです(こういうことを言っている自分が一番幼かったのですが)。そのためプライベートでどこか遊びに行く友人を作ることもせず、表面上の付き合いのみで、ひたすら自分の世界に閉じこもり、読書が好きだったので、マンガや小説とお友達になっていました。しかしそんな自分がAPUでの生活を通じて一変、今では人と関わることに抵抗は全くない、むしろ積極的に楽しむことができるし、それを求めている。そしてたくさんの大切な友人をたくさん得ることができている。4年間の生活を通じて、極度に内向的だった自分が、こうして外交的で社交的な人間へと変化・成長したこと、自他ともに認める一番大きな変化なのではないかと思っています。


 こうした変化の要因としてまず一番に考えられるのは、間違いなく「人との出会いに恵まれていたこと」です。「APU生の9割は変人」とはよく聞く言葉ですが、変人かどうかはさておき、人それぞれ全く違った人生を歩んできている、そして関わった人から大きな刺激をもらえる環境です。特に僕のように、のんびりのほほんと大分の田舎町でぬくぬくと過ごし、世間知らずだった人間にとっては尚更です。初めての英語クラスで出会った友達は、高校時代から留学を経験しており、そのどこか堂々とした姿だけで、僕のモチベーションをくすぐるには十分でした。FLAGWSAPU入門で出会った先輩方は、入学時の消極的でオドオドした自分の殻を破らせようと、必死に関わろうとしてくれている、誰かのために必死になり、時には本気でほめられ、叱られ、自分のためにここまでエネルギーを阻止でくれる人がいるということに心揺さぶられる思いでした。そして様々なセミナーや学内での活動を通じ、学生ながらに社会人と連携し別府を盛り上げようとしている人や、海外でボランティア活動に携わっている人、それぞれがそれぞれの想いを持って、実行に移している。本当に11人との出会いが今の自分を形成してくれていると心から思えます。

 さて、そんな中僕が選択した道は、初年次科目(WS1, WS2, APU入門)のTAという道でした。今まで人と関わることが本当に苦手だった人間が選択した、「人と関わることがすべて」である取り組みです。きっかけはやはり人との出会いです。前述したたくさんの先輩方からのいただいた惜しみないエネルギーが、「自分の先輩方のように、人のためになることがしたい」と背中を押してくれました。しかし実際はそう簡単にはいかないもの。初回の授業では、人前に立っただけで頭が真っ白になって、自分でも何を話しているのかわからなくなったことは今でも忘れません。正直心が折れそうになることは何度もありましたし、セメスターの途中で「もう次はやらないかなぁ」なんて考えることも多々ありました。しかし結果的に2回生からの3年間、就職活動期間を除き関わり続けた、さらにその他のTA活動を任せていただいたり、FLAGでの活動を加えたりすると、合計15回(たぶん同期の中では最多クラス)ものAPUにおけるピアリーダー活動に携わらせていただきました。

 TAでの経験は何事にも消極的だった自分を根底から変えてくれる経験を与えてくれました。そこには、初年児教育に携わる先生方、他のTA、そして受講生の存在が大きいです。恥ずかしながら、TA活動を通じて、大きなミスから小さなミスまで僕の行動1つで他者に迷惑をかけてしまったことがたくさんあったと思います。そのたびに自責の念に駆られ、次はこうすればいいのではないかと思って行動したことでまた失敗する、それが積み重なって自分ではどうすればいいのかわからないと悩みに悩んだ時期がありました。そんな中1つ大きなミスを犯してしまったことがあります。受講生の授業で使う資料をほかの場所においてきてしまったのです。結果的に担当の先生の研究室にあったからいいものの、授業時間が大幅におしてしまい、受講生の貴重な時間を無駄にしてしまうこととなってしまいました。その時担当の先生から叱責を受けたものの、その時その先生からかけられた言葉が今でも忘れられません。「20代の今なら、あなたが変わろうと思うのであれば、いくらでも変われる!だから思いっきりやりなさい!」そしてほかのTAさんたちも優しく温かい声をかけてくれる、そしてそんなTAであるにも関わらず、頼りにしてくれる受講生がいる。今まで自分が行ったことで取りこぼしてきたものを、その背後で自分以外の誰かが拾ってくれていたから成立していたのだと、嘆いていた自分は、「わからない、わからない!」とただ自分の殻に閉じこもっていただけなのだと、自分が担当する受講生が頼れるのは自分しかいないのだから自分の足で立って1人前になろうと、TAでのこうした体験は、自分の行いがいかに他者に許されているのかということ、そしてその「許されている」という事実に甘えるのではなく、自分の尻は自分で拭くという責任感や自立心、そして他者に対しての気配りや心配りといったことを教えてくれました。

 そしてTA経験を通じて、学んだことは「まず何よりも自分が心から楽しむ!」ということ。「人のために」と思って取り組み始めたTA活動でしたが、人のためにと思ってやったことがすべていいこととは限らないということを知りました。人間、人それぞれに歩んできた道があり、人それぞれ受け止め方も感じ方もすべてが違います。だからこそ「こんな状況のときはこうすればいい」と決まったパターンは人と人との関わり合いの中では存在しない。でもだからこそまずは一番に自分自身が楽しむことが一番大切です、それを見て笑ってくれる人がいればそれでよし、笑ってくれないのであれば、次はどうすれば笑ってくれるのかを工夫すればいい。目の前の楽しい状況も、悪い状況も、悲しい状況も、すべて作り出しているのは自分自身だということ。きっとAPUのように多様な価値観を認め合える環境にいなければ、こんなことを考える自分はいなかっただろうなと改めて思います。すべては「人との出会い」、そして「人と人との関わり合い」のなかで学んだことです。
 
 最後に、これからAPUに関わる後輩たちへメッセージを。まず後輩たちへ。「学生」という立場は、大きな失敗も小さな失敗も許される立場です。なぜならみなさんの失敗を尻拭いしてくれる大人がいるからです。大学での4年間は、あくまで自分を律することのできる人間になる過程の一部であると僕は思っています。だからこそ、「自分の心に正直に、思うままに行動をしてほしい」です。前述のとおり、僕はAPUで大きな失敗を犯しました。その時迷惑をかけた方々には本当に申し訳なく思っています。しかし今振り返るとその経験があったからこそ、自分を律することの大切さも、誰かに許してもらって生きていた自分がいたこともわかるし、「人と人とが関わること」の本当の価値も、楽しさも、苦しさも、若輩者ながらもその一端を理解できたと思っています。こうした失敗をAPUで経験をするのか、もしくはAPUを飛び出して経験をするのかは人それぞれです。良い悪いではありません。自分の思った通りに道を選択・決断してください。


 この文集を読んでくれた方々が少しでも何かを感じ、小さなエネルギーへと昇華されればいいなと思い、締めくくらせていただきたいと思います。APUの学生であれたこと、心から嬉しく思います。卒業後もみなさんと関わり続け、そして新たな素敵な出会いにめぐり会えますように。

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