2015年3月15日日曜日

康 絢順


 「Where are you from? (出身はどこですか)」 この簡単な質問に口をつぐんでしまったあの日から4年が経った。私は東京都足立区の下町っ子で、韓国国籍を有する在日コリアン3世として生まれ育った。小学校から高校卒業までの12年間を民族学校である朝鮮学校に通い、朝鮮の文化や言語、そして自分のルーツを学んだ。同じ背景を持った同級生や先輩、先生、友人の家族…在日コリアン社会の温かい輪の中で、私は何不自由無い生活を送った。大学進学を考えたのは高校入学直後だった。「ヒョンスンが将来羽ばたいていく世界は国際社会だよ」。幼い頃から耳に胼胝ができる程に言われたこの言葉は、両親の口癖だった。小学校時代の試験で100点満点を取っても、中学校の委員会に選ばれても、私を褒めた後には必ず語尾のように付いてくる言葉だった。当然あの頃の小娘(私)は、その意味を理解していなかったが(笑)。しかし心身共に成長するにつれて、何となく世界への興味が湧いたのだった。そして高校2年生時に心に決めた「APU進学」。英語が堪能な姉の姿を追いたいと留学も考えたが、それよりも「日本で生まれ育った限り、一度は日本の教育機関に入りたい」、「在日コリアンだけではなく、世界中の人と出会いたい」という2つの強い思いを持ってAPUに入学した。

 高鳴る胸、膨らむ期待。当時の第一目標は「韓国人の友人をつくる」ことだった。というのも、やはり民族教育を受けたことで、自分が「コリアン」民族の一員である自負を強く持っていたためだった。そして待ちに待った新入生歓迎会パーティー。素敵な出会いが待っているはずだった。「初めまして、カンヒョンスンです。」勇気を振り絞って韓国人留学生に韓国語で話しかけた。

「…コリアンの韓国語じゃないね。おかしい。」
期待とは裏腹に返ってきた言葉だった。
私はこの時初めて、ある一冊の本に書かれるような「ショックで時間が止まる」という表現の意味を理解した。12年間培った自分の中の全てが崩れ落ちた瞬間だった。

 それから私は名前さえ名乗ることが怖くなった。「なに人?Where are you from?APUの環境に居れば必ず交わされるこの会話に、答えることもできなかった。日本の友人に「韓国人だから犬を食べるよね」と冗談交じりの言葉を受け、韓国人には「お前は韓国人じゃないな」と、留学生には「一体何人なの?」と質問攻めになる度、自分が一体誰なのかわからなくなった。日本人や韓国人、朝鮮人。「なに人」にもなれない自分のルーツを何度も憎み、学校行事で国旗を飾る学生たちを見れば彼らを心底羨んだ。どうして他の人と同じようになれないのだろう。普通になりたい。一層ここから抜け出して、在日コリアンの社会に戻りたいと思った。自己嫌悪に陥る程、元居た場所の温かさを求める自分がいた。しかし同時に、「戻っちゃいけない!」と自制心が働いた。冬の日の布団や火燵から出たくない様に、あの場所へ戻ってしまえば、寒さと戦う強さを養えないと理解していたからだった。

 APUの存在を知った時から憧れ続けた存在があった。APハウスの寮生活をサポートするレジデントアシスタント(以下RA)だ。自分を見失っていた私でも、RAになりたい目標だけは明確に持っていた。そうして幸いにも、団体の一員になることができた。RAは私の想像を越えていた。日本、韓国、中国、ベトナム、バングラデシュ…世界から集まる学生が母語ではない言語をこなし、国籍や文化を越えて異なる背景の人々と真直ぐに意見交換する姿に、新たな衝撃を覚えた。些細な事柄から大きな問題まで、良い寮環境を築こうと価値観をぶつけ合う真摯な姿勢、批判に屈しない粘り強さ。誰もがその人だけの「らしさ」を持っていた。何よりも、他人と異なる意見やアイデアを通して自信を得る彼らのポジティブさがとても輝かしかった。one of themになりたかった私に、only oneの素晴らしさを教えてくれたのだった。

「なに人じゃない。大切なことは、自分がどんな人間であるか。」

日本語訛りの韓国語も、身に付いた日本の風習も、朝鮮舞踊や芸術を好むことも、全て私の色。共に働いたRAの仲間は自分自身でいることの勇気を十分に与えてくれた。自分のルーツ、両親が名付けてくれた私の名前がとても誇らしく思えた。

 振り返れば、APUに通った4年間は自分探しの旅だった。
傷付き人を憎み羨んでは、過去と自分自身を否定した。そして人を愛しては学び、自分の全てと向き合った。APUでの様々な「出逢い」が無ければ、きっと今の自分は存在し得なかったと思う。APUは常に試練を与えてくれ、越えた分だけの喜びと強さを教えてくれた場所だった。
 「私」という、かけがえのない存在を認めること。そこから生まれた自信は、自分色の宝石を輝かせたくさんの出逢いを運んでくれるだろう。
 これからも何色にも染まらない「カンヒョンスン」として世界に羽ばたいていきたい。今なら大きく胸を張って言える。

「初めまして、私はカンヒョンスンです。」

       
  最後に、共に泣き笑った友人たち、広い見識と知識を教えて下さった先生方、背中を押して下さったオフィスの方々に心から感謝したい。
そして如何なる時も「カンヒョンスン」を支えてくれた最愛なる家族に感謝の気持ちを届けます。

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